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【画像】林家こん平の若い頃!笑点の最後の出演はいつだった?

落語家・林家こん平さんが2020年12月17日に誤嚥性肺炎でなくなったというニュースがありました。

2004年に「多発性硬化症」を発症し療養していました。

心からご冥福をお祈りいたします。

 

林家こん平さんといったら笑点。

笑顔がとても印象に残っています。

今回は【林家こん平の若い頃!笑点の最後の出演はいつだった?】

というタイトルで林家こん平さんの若い頃からこれまでを調べました。

林家こん平の若い頃の画像

林家こん平さんの若い頃の画像をまず探してみました。

林家こん平さんといったらオレンジの色紋付。

現役時代の明るさはずば抜けていたという声も。

笑顔と明るさが印象的でしたが、性格は繊細だったようです。

こん平さんの笑顔から元気を何度ももらった方がたくさんいるのではないでしょうか。

繊細だからこそ、誰かの立場に立って考えることができていたのかもしれません。

林家こん平のプロフィール

林家こん平さんのプロフィールをご紹介。

本名:笠井光男(かさい みつお)

愛称:こんちゃん

生年月日:1943年3月12日

出身地:新潟県

特技:卓球

林家こん平さんは6人兄弟の末っ子として新潟の農家に生まれる。

中学卒業とともに上京。初代林家三平の弟子入り。

こん平の由来は、弟子入り当初に林家こん平さんの顔つきが「キツネ」に似ていたこと師匠の妻がきつねうどんを食べていた時にひらめいたこと。

40年間「笑点」でレギュラーとして活躍。構成作家も務める。

2005年に多発性硬化症と診断される。

2009年には高座に復帰。

2010年には自著を発売。

2013年には持病だった糖尿病が悪化し足指が壊死し一時心肺停止になったこともあった。

2019年には脳梗塞を発症。

 

林家こん平さんは一千を退いてからも最期まで「もう1度落語がしたい」とリハビリに励んでいたそうです。

要介護4から要介護2にまで回復させるほど前向きだったよう。

 

リハビリには特技の卓球も取り入れていた。

笑点の最後の出演はいつだった?

林家こん平さんの「笑点」へのレギュラーとしての出演の最後は2004年9月5日。

2004年の24時間テレビ出演後救急搬送されて指定難病「多発性硬化症」と診断。

笑点は2004年の9月12日(第1933回)以降は休演。

2006年5月14日(第2016回)で事実上の降板。

1966年から始まった笑点のレギュラーメンバーとして40年間活躍されました。

 

その後2014年、2015年、2016年と3年連続で24時間テレビに出演。

2016年には弟子たい平さんがチャリティーマラソンで走る時の掛け声「「1、2、3、チャラーン!」を披露。

まとめ

今回は【林家こん平の若い頃!笑点の最後の出演はいつだった?】というタイトルで林家こ

ん平さんの若い頃や、主に笑点での活躍をまとめました。

林家こん平さんは中学卒業後に弟子いり。

顔つきがきつねに似ていることなどから「こん平」と名付けられた。

笑点へのレギュラーとしての最後の出演は2004年9月5日。

約40年間笑点で活躍されました。

その後10年ぶりに2014年から3年間、24時間テレビに出演を果たした。

多発性硬化症と診断されたあとはもう1度高座に立とうと前向きにリハビリを重ね要介護4から要介護2に上げたり、特技の卓球をリハビリにとりいれるなどしていました。

その後もリハビリや療養を重ね回復するも2020年12月21にお亡くなりになりました。

オレンジの色紋付、「1,2,3、チャラーン」は印象に深く残っています。

心からご冥福をお祈りします。